Vol.139
2019年02月12


島道鉱泉で働く人達は、じぶんを犠牲にしています。

商売のためでなく、お金儲けのためでなく、ご先祖様が残してくれた家屋敷を守るためだけに働いているのです。

わたしの先祖は、石像の薬師如来が夢枕に立った事がキッカケで商売を始めました。

土地を分け与えられ、不便な場所に立地する家屋敷は、薬師如来の石像、鉱泉、天然ガスの発見で、商売をする流れになったのです。

山間の島道鉱泉の家屋敷の維持管理は簡単ではありません。

働く人の意識や肉体、特に経済がともなわなければ成し遂げられないのです。

わたしは、古き良き時代の湯治場再建と掲げて会社を設立しましたが、ただ、じぶんの生まれ育った環境を絶やしたくないだけだったのに気付きました。

確かに、会社は島道鉱泉内に所在していますが、ただそれだけのことでした。

わたしは、今まで見える世界に拘りすぎて、本来やるべきことをしなかったと、深く反省しました。

自然界の中での暮らしは、並大抵の根性では出来ません。

まして、じぶんの私利私欲だけで生活しようとすると必ず、天罰が下ります。

その天罰は、人を返して現実に見せられます。

わたしの人生は、いつも島道鉱泉に引き寄せられてきました。

島道鉱泉を忘れて、違う場所で生計を立てようとすると必ず崩れてしまうのです。

それは、不思議なくらい壊されていく現実を幾度も体験して、やはり、わたしは、島道鉱泉で働くしか道がないと追い詰められたものです。

それでも諦めの悪いわたしは、何度も、何度も、島道鉱泉を離れようと、別の仕事で頑張りますが、必ず、いつも1年半で、状況が可笑しくなったものでした。

引き寄せては離れ、離れては引き寄せられ、結局は島道鉱泉から離れられないと、とうとう7年前に覚悟を決めて島道鉱泉に帰ってきました。

それが、本当にわたしが、私の人生を諦めた時期でした。

わたしの人生は、6歳の霊視体験で切り替わりました。

切り替わって、島道鉱泉で働く道を与えられたのです。
でも、人間的な感情が邪魔をし続けて、約40年くらいに抵抗していました。(笑)

50歳になった今でも、人間事で捉えてしまいつい、我が出てしまい、己の志を忘れてしまいます。

志を、本来の魂の役割を忘れてしまうときは、だいたい、現実に起きることに集中し過ぎて色々な事に囚われてしまう時です。

そんな時は、私利私欲があるか?筋道や理論に従っているか?をじぶんのなかの存在を分別する作業をします。

じぶんさえ良くなればいい!と言う自分勝手で、我が儘な考えを削除します。

そうすると必ず『自己犠牲』の言葉が出てきます。

『誠心誠意、じぶんを犠牲にして、人のために尽くす』が浮かび上がってきます。

それを行動に移すためにイメージします。

じぶんが可愛い、じぶんが良ければいい、じぶんが良くなってから、じぶんが先の、我欲を剥ぎ取ります。

『自己犠牲』は 一見、損をするように感じますが、わたしは自己犠牲がカッコイイと思ってしまうのです。

じぶんを犠牲にして、誰かが喜んでくれたり、楽しんでくれたり、面白がってくれたり、幸せ気分を味わってくれたら、これに勝る喜びや幸せはないと思います。

じぶんの命ある限り、じぶんの能力を最大限に活かし、出来る精一杯、働きたいと思います。

今日ある命は当たり前ではありません。

今日も何事もなく過ごせたことは当たり前ではありません。

今日も与えられた、恵まれた環境に感謝なのです。

今日も生かされたことに感謝、感謝なのです。

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キラキラはるみ