ブログ
-
~カミサマセミナーの巻~
Vol.27
2018年03月26日
カミサマセミナーで話をしたことは まだ序の口だった。
伝えたいことは 順番が決められているから まだ言えなかった。
伝えたいことが、沢山あるけど 時期を見て話をしよう。
思えば 幼少期の心霊現象は 今のじぶんには 全て必要なことだったんだと再確認できた日だった。
最近の人は 見えない精神世界を信じている。
でもそのなかで 判っている人は何人いるのだろうか?
人としての感情と 魂からのメッセージは 同じこともあれば 違うこともある。
その違いが解明できれば みんな苦労していないし 悩みや迷いなんてなくなる。
そして感情的に決められた じぶんの判断が正しいと思うことが 実は、間違いだと気付き 改められたら 人生は転換する。
悔い改めるということは、できそうで出来ないことだが、じぶんを否定すること、切ないこと 決めつけずまずは 今のじぶんのそんな考えを止める努力をしないと。
毎日、細胞が変わっているのに目に見えない場所だからあまり意識はしないけど、実はその細胞と同じように、じぶんの感情も1日、一日で生まれ変わるように意識したらいいんだ。
感情を圧し殺すということは いずれ身体も殺られるということ。
思いを残すことをその日のうちに解決しないで、何回も何度も繰り返し、何日も溜めていると だんだん重くなり 辛くなり 切なくなり そして苦しくなる。
だから その重く 苦しい感情を頭の中に残したままでいると、身体まで殺られてくる。
だから
じぶんの気持ちを大切に
じぶんの気持ちを我慢しないで
じぶんの気持ちに正直に
じぶんの気持ちを発信できるように
いつも いつでも どんなときも、ありのままの そのままの 等身大の じぶんの気持ちを 発信できるように 意識する。
まわりに何を思われても
まわりに何を言われても
まわりに何をされても
じぶんの本心を正々堂々発信してたら 必ず わかってくれる存在がやってくる。
諦めてるのはじぶん
『どうせ無理』『どうせうまくいかない』『どうせわかってもらえない』
そんな気持ちでいるうちは
まわりと調和できないし、
まわりと協力なんて無理
まして大事な相手なら尚更
慌てず、騒がず、じっくり ゆっくり時間をかけて
正直なじぶんの気持ちを じぶんなりの表現で 繰り返し 諦めないで 発信していこう。
今日も 心からの笑顔で 過ごせたじぶんに
こんなじぶんに 関わってくれた全ての存在に感謝なのだ。キラキラはるみ
-
~久しぶりの我が家の巻~
vol.26
2018年03月25日
昨日の富山県行きで 今朝は 体調不良で横になっていた。
11時過ぎに 玄関を叩く音。
夫とお姑さんが、突然、訪問。
『何回も電話したけど 出なかったから 今日は いい天気だから 山に行こうぜー!』
『はるみ ごはん食べてないだろうから お寿司買ってきたよ!』
ふたりの明るく 陽気な笑顔で なんだか 元気になってきた。
この雰囲気は、もしかして 島道鉱泉に行く?
急いで お寿司を食べ 慌てて、着替えて 出かける。
約4か月ぶりの島道鉱泉には 感動した。
空気 景色 何から何まで 澄んでいて輝いていた。
『ゆっくりできて良かったね。また来ようね』
実母と妹が 見送ってくれた車中のなかで 話をしながら 感じた。
『わたしは 幸せものだなぁ 恵まれた環境にいる。 夫 お姑さん 実母 妹 みんな気がいい人達だ。 ありがたい限りだ。』
明日は カミサマセミナー
何の段取りもなしだから お姑さんが 心配してくれていた。
わたしは 段取りも リハーサルもないまま まわりに依頼を受けてばかりの人生だったから、大丈夫。
『はるちゃんなら、大丈夫だよね!』
『はるちゃんなら、出来るよね!』
『はるちゃんなら、上手く喋れるよね!』
まわりのひとに無理やり押し付けられてきた(笑) 依頼されてきた 言われ続けてきた人生。
なにも考えず 段取りもせず ぶっつけ本番で 失敗しないのは
『私なんて、なんの力もないし、なにも出来ない、ひとりじゃなんにもならない、わたしっていい加減な奴だよなぁ!』という超スペシャルコンプレックスのお陰だと思う。
わたしは まわりに支えられ 助けられ 守られて生きてきたことを自覚している。
それもかなり強く思っている。
だから、無理難題なことを要求するやからがいても 軽くこなせて 最後は帳尻があい上手くいくんだと思う。
今日も わたしに関わってくれた 素敵な人達に 心から感謝だ。
いつもより ありがたさが 込み上げてきたのは 島道鉱泉の聖地に滞在したからだろう。
今日も 無事に 一日を過ごせて良かった。キラキラはるみ
-
島道鉱泉への道のり
島道鉱泉への坂道を上る
春の訪れが始まった -
~親切丁寧の巻~
Vol.25
2018年03月24日今日は富山県へ。妹の運転で通い始めた病院は 親切、丁寧だ。流れがあり色々なことが重なり巡り巡って現実になる。縁があり 出逢い その繋がりを紡いでいく。眼科の主治医は、いつも 親切 丁寧。きめ細やかな対応で 穏やかな雰囲気を持つ とても安心できる存在だ。視力検査の結果も 『数字は気にしないで その日の体調もあるから 大丈夫ですよ』とアドバイスをくれる。やはり 患者の立場になり対応できるって なかなかできそうで 出来ない。そんなひとを目の当たりにして じぶんに当てはめる。全ては じぶん次第なんだよね。いつも 相手の立場になり 言動できれば まわりが嬉しくなる。関わる存在に感謝しながらじぶんらしさを発揮して まわりを喜ばせてあげよう!許してくれる 支えてくれる 施してくれる その環境は 当たり前じゃない。いつも笑顔でいてくれていつも元気でいてくれていつも守っていてくれるそんな存在に そんな環境に 感謝しないとね。今日も 与えられた全てに 関わってくれた人達に 感謝なのだ。キラキラはるみ
-
~悩める子羊へのメッセージ~
『神を越えよ!仏を越えよ!積哲夫の言葉』
この文面読んだ方がいい。
理にかなってる。
筋道とおってる。
真相心理ついてる。
特に お薦めは 生命について 59回配信。
『やっぱり そうだったんだぁ~』
信じる、信じないなんて じぶん勝手の思い込みだから とにかく 読んでみて
積先生は やっぱり選ばれた存在だと つくづく思った。
あんな凄い人と 出逢って 物凄く良くしてもらったら 何とかして 恩返ししないと!と 切実になった。
やっぱり 積哲夫先生は 最高だぁ~
やっぱり 積哲夫先生は カッコいいね!
傲ることもなく ただ淡々とこなしている姿が 実に男らしくて 眩しい。
やっぱり ほんものの光と繋がっている人なんだよね。
夫が 積哲夫先生を気に入ってるのが解る。
ほんものは ほんものしか繋がらないよね。
やっぱり 理屈じゃないところで 感じるんだよね。
神を越えよ仏を越えよ積哲夫の言葉
https://www.godbrain.com/gb/shinlogy/magazine_2/
聞き手の何田匡史さん 最高!
頑張ってますね! 素晴らしい!
皆様と出逢って ご縁を繋げていることが まさに 奇跡です。
ありがとうございます。
今日も 頑張って 出掛けるぞぉ~
-
~本能の赴くままにの巻~
Vol.24
2018年03月23日
仕事を選ぶとき、気を付けていることは 飽きない 続けられるか。 今までは じぶんのやりたい仕事してなかったけど、島道鉱泉プロジェクトに関わり 本来のじぶんのやりたいことが見つかった。昔は 何のために仕事をしているのか?判らなかった。
頼まれて断ることも出来ず ひとに振り回されてする仕事。お金を稼ぐだけの仕事。 二つ、三つ、掛け持ちで仕事をしたり 時間に追われ 気持ちにも余裕がなくなり お金がたくさんたまってくると アクシデントが起きて続けることが出来なくなる。
そんなことしてるうちは、心も身体も満たされない。正直な気持ちで生きていないときは 報われないし 満足できない。そうすると冷静な判断ができなくなり妥協で仕事をしてしまい流されてしまう。
基本 わたしは遊ばない、真面目じゃないんだけど遊ぶの嫌い。仕事大好き。遊び感覚で仕事をしてるから、改めて遊ぶために 時間作ることを考えないし、また考えるのがめんどう。
たまに、真面目に仕事に取り組もうとか、がむしゃらにとか、一生懸命に仕事をしてみようと思うが かえってバランスが悪くなる。
幼少期から、じぶんの身体が柔だから がむしゃら 一生懸命 張り切って 何かをするのを止めだんだ。肉体がついていかないから諦めたんだ。
もっと目が見えてたら 気管支や肺が奇形じゃなかったら 息するのが苦しくなかったら、もっとチャレンジ出来ることがあっただろうけど、無謀なかけや無茶なことはしない。
だからって、病気のせいにもしたくない。病気のせいにして開き直ったり、同情されたら じぶんが切なくなる。かといって、病気を隠すつもりもないし 無理して元気にしている訳でもない。
病気になってしまったことや過去を振り返り嘆くより、今、これからどうするか具体的に期限を切り生きていったら夢に繋がり希望が見えてくる。
6歳発病 余命宣告や失明宣告を受けたとき 嘆くまもなく治療に追われた。その治療しないと命がなくなるとか目が見えなくなると脅された気がした。
その頃から じぶんのいく末を考えていた。じぶんの身体が柔だから 首から下を使えない。だったら、何をして生きていこうか?どうすれば長生きできるか?
じぶん以外の人のためにいきればいいんだ!じぶんの感情なんてどんな風にでもコントロールできるからまわりのひとのために働けばいいんだ。
そんな考えが 頭のなかでぐるぐると回転し じぶんが人生の帰路に立つ度にじぶんの中に現れていた。
人のために働く。どうせするなら喜んで!そうしないとじぶんが納得しない。
夢は『お見合いで結婚して、専業主婦になること』だった。いろいろな人と付き合い時間とお金を費やした。お金が絡むと人の本性が見えて とても勉強になった。
はたして
今の夢は何だろう?
今の喜びは何だろう?
今の嬉しいことって何だろう?
今の幸せ感じるときって何だろう?
今 じぶんの生きる意味って?
今 じぶんの未来の方向性って?
そういうことを常に考えてきたから 今のじぶんの置かれてる環境に繋がったんだ。選択肢が正しかったから 今の人たちに巡り逢えたんだ。
思い描くビジョンを強くもち、そのビジョンに向かって一心に進む。計画をたて期限をつけて、一貫性をもち行動する。
恐れることなく 迷うことなく 勇気を出し じぶんの気持ちに嘘をつかないで、じぶんの幸せのために真剣に向きあい行動する。
これが 正しいと思っているときほど
これが 相応しいと開き直ってるときほど
これが 全てだ!と信じきってるときほど結果は 思い通りにはならない。
思いが強すぎて 力が入り あとに引けないときほどうまくいかない。もしうまくいった、思い通りになってると勘違いしていたら、それはじぶんの力ではなく 完全にまわりのちからをかり結果をもらっただけ。
本来 じぶんひとりだけなら なにもする気にならない。誰かがいるから その誰かと生きていくために 生きている。仕事してお金を稼いで、食べたり 寝たり 一日でも命を繋げるために、無意識で努力してる。
ただ なんとなく なにげなく 何の気なしに 生きてる訳じゃない。やはり命が惜しいし 出来るなら長く生きたいと思う。そのために寝るし、食べるし、じぶんを大事にするように動いている。
今日も
本能の赴くままに
本来の役割のままに
じぶんの本心からのメッセージを 包み隠さず まわりに発信しよう。じぶんなりの言葉で じぶんなりの表現で
今日も 与えられた 全ての環境に 感謝なのだ。キラキラはるみ
-
~悲しい別れの巻~
Vol.23
2018年03月22日
21歳の秋 祖父が入院した。
それまで家族は病院に縁がなかったので やはり病院慣れしているわたしが適任だとおだてられ、祖父の介護人はわたしになった。
祖父の病気は治る見込みもなく、苦痛を軽減する治療が始まった。免許を取ったばかりのわたしが祖父の介護のため 週に数回、片道一時間の道のりを通った。
親の死に目に会うのは 今どき珍しい。
母親と叔母は 二人とも 祖父が他界したときに付き添っていた。死に際は 大きく深呼吸をして そのまま息を引き取ったそうだ。
幼少期から 人の死を目の当たりにしていると命の尊さや重みを忘れてしまう。
人の死に慣れるのは怖いものだ。
祖父が他界した春は、実家の桜が満開に咲いていた。
まるで島道鉱泉に貢献したことを祝福していたかのように、そしてこの世に存在がなくなることを惜しむように。
祖父の他界からまもなく わたしは実家から隣街の上越市で引っ越し働き始めた。
いつでも家業の手伝いができる場所にいようと思っていたからだ。
今日も 朝日を浴び 気になることを行動する。
動ける身体があり 考える頭脳があり 一人前の人間的な感情に浸る。
にんげんごとで、考えすぎないように
にんげんごとで、片付けないように
にんげんごとで、囚われないように
にんげんごとで、惑わされないように
今日も 与えられたことを素直に受け入れ 感謝を忘れず 正直なじぶんの気持ちのままに動こう。
今日も何事もなく過ごせたことに
与えられた全ての環境に感謝なのだ。
キラキラはるみ
-
~近くに存在する修験道の巻~
Vol.22
2018年03月21日
じぶんの気持ちが晴れないときは 何をしていてもつまらない。訳もなく泣きたくなったりイライラしたりふいに切なくなったりする。
東京生活も3年を過ぎた頃 家の事情で 地元 糸魚川市に帰るか、帰らないか考えていたときは さすがに参ったことを覚えている。
寝れない日が続き 精神や身体の疲れも重なって 夜な夜な、金縛りになることが多くなった。仕事中、人影がうろうろ、後ろ髪を引かれ、何かを言いたいような気配を感じて 毎日、苛立ちとモヤモヤを隠すのに苦労した。
決心が鈍る原因は、都会暮らしが合っていたことと、仕事が楽しかったこと、将来を約束していた相手がいたこと
自己犠牲に見える行為も じぶんのために使わされたことと捉えたら納得がいく。
でも、その当時は じぶんの楽しみや喜びを奪われてしまうのではないか?という闇がわたしの意識や身体を覆っていた。
にんげんごとで、考えると すぐ行動できない。
でも てんごとで感じると自然にわかる。
案の定、悩み、迷ってしまい具合が悪くなり 持病の気管支が悲鳴をあげ 体調不良で 仕事が出来なくなり 渋々 泣く泣く 実家に帰った。
体調を崩したのは わたしが行動しないでいたからだと気がついたのは 地元に戻ってからのことだった。
わたしの人生は いつもそうなんだ。愉しいことと辛いこと、嬉しいことと淋しいこと、面白いこととつまらないことが 交互にやってくる。
今までは そうだった。
でも、7年前に 島道鉱泉に帰ってきてからは違った。
楽しい 嬉しい 面白い 喜び 癒し 幸せな気持ちで、満たされている。
今まで生きてきた 毒が出切ったから 愛しいひとがいるから いろいろな理由がある。
心の傷も身体の傷も じぶんのための勲章。いろいろなことを乗り越えてきた証。
まだはっきりしないけど まだスッキリしないけど まだなんとなくだけど きっとそうだ!と感じる。
島道鉱泉は山奥、バス停まで 徒歩30分 わたしの足なら 軽く一時間はかかる場所に位置している。
バス停からの道のりは川が流れ田んぼがあり人や車はたまにしか出合わない。
そんな修験の道を歩いて 最後が難関の坂道。見上げるとどこまで続くかわからない木々の生い茂る坂道が聳え立つ。
深呼吸したら 空気が変わるのが分かる。風を肌で感じながら 自然界の中に挑んでいくイメージ。
『坂道を運転できれば 試験なんて必要ないなぁ~』と他界した祖母がよく笑いながら言ってたなぁ。
わたしの人生は いつも何かの流れに乗り 宛もなくさ迷う。流れ流れて どこかか分からないところに辿り着く。人生は浮き草のようなものだ。
スイスイ流れて、いつもちょうど良い時期に、ちょうど良い感じで、行きたい目的地に到達する。
それは 波瀾万丈か? 波乱万丈か?わからないが
一件 大変なことが 実はじぶんの生きることには必要なことが多い気がする。
じぶんの気持ちひとつで じぶんの心根ひとつで、どんなことも、どんな状況もあ天の配剤なんだと思うことができる。
わたしは幼少期から 目が不自由で 呼吸機能障害で闘病生活をしているが、病気だという意識がなく 他の人と違うだけなんだと冷静に考えている。
性格が かなりしつこく だいぶキツく 結構淡白で 意志が強いので 病気でも 大丈夫だと思う。でも もし健康な身体で 目がよく見えていたら 優しさや甘さや穏やかさは少なかったと思う。
だから 病気をして良かった。原因不明で治療方法がわからない病気でも、まだ、こうしていられるから。こうして、生きていられるから。
根本は、悲しいことや辛いこと 苦しいこと 切ないことがあっても その状況は いつまでも続かないって 信じてるからだと思うけど やっぱりまわりに支えてくれる存在がいるから強くなれるのだと思う。
魂は 何らかの役割をもってこの世にきたとしたら
その役割が何なのかを知れたら わたしは 魂の役割を果たせる環境を与えられたらわたしは、迷わず それを選ぶ。
にんげんごとで見れば なんてつまらないこと
てんごとで視れば なんて面白いこと
どんなことがあっても
生きていればいいんだ!
生きていれば何とかなる!
生きていれさえすれば何かを成し遂げられる!
わたしは まだ 生きる。
幼少期 夢描いたことを現実にするまで 生きる。
じぶんの目的を果たすまで 生き抜くんだ。
じぶんが じぶんらしくキラキラと輝いて
じぶんの まわりにいる存在が キラキラと耀いて
それぞれの魂の役割を知り その役割が何なのかを確信し それに沿って行動できれば 見たことも感じたこともない現実がやってくる。
今日も じぶんの役割を確認して
今日も じぶんの大切な存在のために働く
今日も 天の配剤を素直に受け入れ
今日も 心からの感謝で終わる
与えられた全ての環境に感謝、感謝なのだ。
キラキラはるみ