Vol.10
2018年03月09日


愉しいことが過ぎると、脱力感に見舞われる。
そんなときは決まって安静にしていた。
白い布団に、白い壁、看護婦さんの制服も白だから、真っ白な世界。
ゆっくり、のんびり、居心地のいい空間だった。

毎日、規則正しい生活を余儀なくされる病院は、健全な肉体を作るだけでなく、精神を養う場でもあった。

毎朝の検温と血圧、時々の採血は、寝ぼけているうちに終わっていた。
朝食までの時間に、顔を洗い、歯磨きをして、吸入治療。
朝食の後の薬服用で、身体が怠くなる。
授業の鐘が鳴りはじめてから、病室を出ても 余裕で間に合う距離に教室があり、便利で楽な通学路だった。
呼吸困難のわたしは、時間にギリギリが命取り。
早歩きで、息が上がり、走ったら酸欠。
基本、他の人とは歩く速度が違うので、一緒に行動できない。
身体を鍛えるための毎日行われた合同喘息体操は、呼吸困難のわたしには、身体を鍛えると言うより命が縮まるくらい苦しい試練の時間だった。

一番好きなのは、安静時間。
その時間だけは、誰とも話をしない、静かに過ごせる至福のときだった。

今でも、現実から逃げ出したくなるときは、病院に入りたくなる。
わたしにとっての病院は、第一の故郷であり、ゆっくりできる憩いの場所。

小学校を卒業を期に、地元に帰った。幼少期に地元を離れたわたしの目に映る景色は曇っていた。

地元の学校に通い始めたが中学時代は、ほろ苦く切ない思いでばかり。

体育時間や昼休みのドッチボールは決まって見学、写生大会は目が眩しくて、外に出るのが嫌だった。
毎日のバス通学は酸欠になり、学校につく頃はへとへとになった。

中学校の同級生のみんなが気を使ってくれた。
『はるちゃんは、無理しないで休んでてね』の言葉が、みんなと自分とが離れている気がして悲しかった。

多感な時期は どんなことにも敏感で、感情的。中学校生活は、悲しい、悔しい、辛い、切ない涙が 多かった。

養護学校から地元の学校に通っていても、他所から来た転校生の気分で、自分勝手に孤独になり同級生と中々、馴染めなかった。

そんな過去の闇がかりな感情(笑)を思い出しているわたしも、今では 本当の自分を知ることが出来てるので幸せだ。

今日も気の合う人に逢い充実した時間を過ごせたことに、愛する人がいることに、与えられた全ての環境に感謝なのだ!!

キラキラはるみ