Vol.71
2018年05月13日


いつからか苗を育てなくなり 農協に依頼して
いつからか手植えでしなくなり 専門業者に依頼して

祖父母の時代は、苗を作り 手植えをした。

苗を植えるコツを祖母に教わり 一緒に並んで作業をしたとき 経験豊富でセンスのいい人にはかなわなかった。

苗を植え終わるまで 続けられる田植え作業は、ある意味 忍耐力と持久力と瞬発力と集中力を養えた学校のようだった。

と、同時にじぶんの日頃の行いの悪さと志の低さを感じて、わたしって、なんて ちっぽけなんだろうなぁ~と泥にまみれながら 感じていたものだ。

今は、機械で苗を植えるようになったから、身体や精神が楽になったぶん いろいろな力が衰えて 柔になってしまった。

お金もかかるし、時間も植えてくれる業者に合わせるから 昔とは何もかもが違う環境だ。

自然界の中での作業は 人間の柔な精神を鍛えてくれて、衰えた心を養ってくれる。

そして、経済的を費やし、時間を合わせなくてはいけない。

昔は良かっだなぁ~ 農作業するだけで、勝手に いろいろなことを気づき 作業のあとの天然風呂のお湯が 私自身の疲れと汚れを落としてくれる気がしてならなかった。

ものごとには 二面性がある。

喜んだぶん 切なさがあり 嬉しかったぶん 悲しみがある。

憎まれたぶん 称えられたり 妬まれたぶん 敬われる。

だから わたしは、いつも考える。

良いことがあったら ありがとう!!という感謝の気持ちと、もっと精進しようという謙虚な気持ち。

悪いことがあったら 畜生!!という切ない気持ちと、じぶんは試されているという意気込みの気持ち。

与えられているよく見えることも、悪く見えることも、必ず原因があるから、よくよく考えて、冷静に判断力すれば大丈夫。

まぁ 基本は、じぶんのことしか興味がないから まわりの人の感情や思いは たいして気にしない。

ただ、感心することは多い気がする。

私にできないことを なんなくしている人には ある意味、凄いなぁ~って感心してしまう。マジに凄い!!って思う。

でも じぶんなら 絶対しない。(笑)

特に 人のために何かをしてあげようという気持ちにはならないし、なったら後々、疲れるだけだから なにもしない。

まわりの人は わたしを誤解しているから それがまた面白い。

今日も 人間の闇を目の当たりにして、自分に照らし合わせて反省する。

いつもながら 与えられた全ての環境に感謝なのだ。

キラキラはるみ