~はるみの字の誕生秘話の巻~
Vol.2
2018年03月01日
昨日からの強い風で 今朝、咳が出始め 鼻水が止まらない。
呼吸困難もあるが、いつものことだし、あまり気にしてない。
精神学協会
https://www.godbrain.com
『神を越えよ 仏を越えよ 積哲夫の言葉』
のインタビュアーの何田匡史さんのアドバイスをうけ、ブログに、日にちを書くことに。
昭和43年3月21日生。
(321なので、わたしはロケットの日に生まれたと思ってる。ロケットが、発射されるとき カウントがある。3、2、1、発射~みたいな、、、)
出生届けは 父親が 出してくれた。
母親『はるみの名前は、実は、晴美の漢字だったんだよ』
はるみ『なんで?名前が ひらがなに、なったんだろう?』
素朴な疑問を 父親に たずねた。
父親『あ~あのときは、、、漢字を度忘れしたんだよなぁ~』
満面の笑みを浮かべる父親
はるみ『へぇ~ なるほど~ 度忘れねぇ~』と ついつい、笑ってしまった。
続けて
はるみ『そうなんだぁ~ 納得したわぁ~ 度忘れすること あるよね~』
50年の人生で 、
『名前は、晴美が 良かったですね!』
『晴美にしてたら、仕事が 上手く行きますよ!!』
『晴美だったら、もっと強かったのに!!!』
『晴美だったら、最高の人生を送れましたよ~!!!!』を 幾度となく 言われ続けたけど(しかも、聞いてないのに、勝手にいってくる人が たくさんいた)
晴美じゃなくて、良かった。と思った。
はるみでも まぁまぁ、ほどほど、けっこう、かなり、だいぶ、そうとう、全体的に、いい人生だった。
しかも これ以上 強くなったら 恐いでしょ?(笑)
主人をはじめ、母親や、姉や、妹に、怖がられてるのに(笑)
つい、最近、主人が、わたしの似顔絵を描いてくれた。
主人『はるみ 怖いもんなぁ』
激怒してる顔の似顔絵をみて
はるみ『やだぁ~こんなに、可愛く描いてくれて ありがとう! いつも、わたしに刺激を与えてくれて 嬉しいわぁ~愛されてる証拠ね!』
主人『怒ると思ったのに 宛が外れて 面白くないなぁ』
はるみ『怒ってる顔でも 可愛く描けてるから 嬉しかったのに、、、あまのじゃくだね!(笑)』
いつも わたしをかまって おちょくり わざと仕掛ける主人の 可愛い攻撃が また 面白い。
なんて 居心地のいい人なんだろう。
居心地がいいと、決まって わたしは、他界した 祖母を思い出す。
『男は度胸。女は愛嬌。』
祖母の口癖だった。
女は愛嬌だから、笑っていれば ほとんどのことは解決するんだなぁ
幼心に そんなふうに感じたものだ。
祖母のしつけは、とても、厳しかった。
12歳から、18歳まで
朝、学校に行く前に、玄関掃除、島道鉱泉の屋敷の掃除をした。
祖母『島道鉱泉のお陰で、食べさせてもらっているんだから、感謝しながら、掃除しなさい!』
長い廊下、2階のお薬師さんの場所は、退院してきたわたしは、息苦しくて、息苦しくて、何回も休みながら 掃除したものだ。
姉と、妹が、手伝うと、はるみを甘やかすな!と、怒られたが、祖母の目を盗んで、手伝ってくれたから、助かったのを覚えている。
わたしは
礼儀礼節を重んじ
義理人情を地で行き
分け隔てなく どんな人にも 変わらず 接する、祖母が 好きだった。
いつも、笑顔でいた 祖母が 大好きだった。
今も 島道鉱泉の場所に行くと 祖母の面影を思い出す。
最近、母親に、祖母に似てきたと言われ 嬉しかった。
と、同時に もっとやる気起こさなくちゃと思った。
まだ、まだ、何も出来てない。
足りない わたし。
だから やれることを、コツコツやるだけ。
今日も 片目が見えて 呼吸が出来て 心臓が動いて 指が動いてくれてるから ブログ更新出来るんだよね。
今日も 感謝なしじゃ 語れない。
生きたいと願って 医学じゃ もう死んでる(笑)
もう、生きれる肉体じゃないけど
まだ 生きられる
長生きできる!
と 自分に 言い聞かせながら、ブログ更新しなきゃ
今日も 改めて 自分の意識と身体に ありがとうだなぁ
2018年03月01日
昨日からの強い風で 今朝、咳が出始め 鼻水が止まらない。
呼吸困難もあるが、いつものことだし、あまり気にしてない。
精神学協会
https://www.godbrain.com
『神を越えよ 仏を越えよ 積哲夫の言葉』
のインタビュアーの何田匡史さんのアドバイスをうけ、ブログに、日にちを書くことに。
昭和43年3月21日生。
(321なので、わたしはロケットの日に生まれたと思ってる。ロケットが、発射されるとき カウントがある。3、2、1、発射~みたいな、、、)
出生届けは 父親が 出してくれた。
母親『はるみの名前は、実は、晴美の漢字だったんだよ』
はるみ『なんで?名前が ひらがなに、なったんだろう?』
素朴な疑問を 父親に たずねた。
父親『あ~あのときは、、、漢字を度忘れしたんだよなぁ~』
満面の笑みを浮かべる父親
はるみ『へぇ~ なるほど~ 度忘れねぇ~』と ついつい、笑ってしまった。
続けて
はるみ『そうなんだぁ~ 納得したわぁ~ 度忘れすること あるよね~』
50年の人生で 、
『名前は、晴美が 良かったですね!』
『晴美にしてたら、仕事が 上手く行きますよ!!』
『晴美だったら、もっと強かったのに!!!』
『晴美だったら、最高の人生を送れましたよ~!!!!』を 幾度となく 言われ続けたけど(しかも、聞いてないのに、勝手にいってくる人が たくさんいた)
晴美じゃなくて、良かった。と思った。
はるみでも まぁまぁ、ほどほど、けっこう、かなり、だいぶ、そうとう、全体的に、いい人生だった。
しかも これ以上 強くなったら 恐いでしょ?(笑)
主人をはじめ、母親や、姉や、妹に、怖がられてるのに(笑)
つい、最近、主人が、わたしの似顔絵を描いてくれた。
主人『はるみ 怖いもんなぁ』
激怒してる顔の似顔絵をみて
はるみ『やだぁ~こんなに、可愛く描いてくれて ありがとう! いつも、わたしに刺激を与えてくれて 嬉しいわぁ~愛されてる証拠ね!』
主人『怒ると思ったのに 宛が外れて 面白くないなぁ』
はるみ『怒ってる顔でも 可愛く描けてるから 嬉しかったのに、、、あまのじゃくだね!(笑)』
いつも わたしをかまって おちょくり わざと仕掛ける主人の 可愛い攻撃が また 面白い。
なんて 居心地のいい人なんだろう。
居心地がいいと、決まって わたしは、他界した 祖母を思い出す。
『男は度胸。女は愛嬌。』
祖母の口癖だった。
女は愛嬌だから、笑っていれば ほとんどのことは解決するんだなぁ
幼心に そんなふうに感じたものだ。
祖母のしつけは、とても、厳しかった。
12歳から、18歳まで
朝、学校に行く前に、玄関掃除、島道鉱泉の屋敷の掃除をした。
祖母『島道鉱泉のお陰で、食べさせてもらっているんだから、感謝しながら、掃除しなさい!』
長い廊下、2階のお薬師さんの場所は、退院してきたわたしは、息苦しくて、息苦しくて、何回も休みながら 掃除したものだ。
姉と、妹が、手伝うと、はるみを甘やかすな!と、怒られたが、祖母の目を盗んで、手伝ってくれたから、助かったのを覚えている。
わたしは
礼儀礼節を重んじ
義理人情を地で行き
分け隔てなく どんな人にも 変わらず 接する、祖母が 好きだった。
いつも、笑顔でいた 祖母が 大好きだった。
今も 島道鉱泉の場所に行くと 祖母の面影を思い出す。
最近、母親に、祖母に似てきたと言われ 嬉しかった。
と、同時に もっとやる気起こさなくちゃと思った。
まだ、まだ、何も出来てない。
足りない わたし。
だから やれることを、コツコツやるだけ。
今日も 片目が見えて 呼吸が出来て 心臓が動いて 指が動いてくれてるから ブログ更新出来るんだよね。
今日も 感謝なしじゃ 語れない。
生きたいと願って 医学じゃ もう死んでる(笑)
もう、生きれる肉体じゃないけど
まだ 生きられる
長生きできる!
と 自分に 言い聞かせながら、ブログ更新しなきゃ
今日も 改めて 自分の意識と身体に ありがとうだなぁ
キラキラはるみ