Vol.1 2023年04月13

島道鉱泉活性化委員会のWebサイトから繋がった皆様、いつも愛読くださり感謝いたします。 わたしは、ぬながわサロン・主任をさせていただいております、能登はるみと申します。 わたしは、6歳の頃、病にかかり、目と肺の疾患で、今もなお、闘病生活を続けています。 視力が低下しているため、身体障害者手帳1級認定で、肺の形が奇形なため、年中、呼吸困難です。 大自然の山奥に生まれがながら、病気にかかっしまった私の人生。 それを紐解く鍵は、やはり島道鉱泉の場所にしかないと、感じています。 人生は何度でもやり直せます。 生きていれば必ず良いことが起こります。 そのために、自分自身も努力しなくてはなりません。 幼少期から、見えない世界を魅せられてきた能登はるみの奇想天外な、ぬながわサロンのユウ先生との記録を綴って行きたいと思います。 下記は、昨年2月23日、島道鉱泉に続く道のりで、雪崩の被害で、この世を旅立たれた何田匡史さんのことが書いてあります。 あれから、約一年、経ちました。 是非、ご覧ください。 2022.04.09.No.1 ぬながわサロン代表・ユウ先生が、島道鉱泉付近で発生した雪崩の跡地を訪れました。 その時、何田匡史(本名・能登匡史)さんからのメッセージを受けました。 『何回も足運んであげろよ』とユウ先生が言いました。 『えっわたし❓冗談じゃない💢何でわたしが❓』 『申し訳ない、そういうつもりじゃない、みんなにわかってもらえなくて寂しい』って言ってるんだよなぁ と、続けて言われました。 『匡史さんは、みんなの前じゃ猫かぶってましたからね。わたしあての伝言じゃなければ納得しました。全く死んでも女々しいのは何なんですかね!わたしやユウ先生が解ってればいいのに、、、みんなに誤解されたくないなんて、ムシがいい話ですよ!全くムカつく‼︎』 『そこまでして、みんなに認められたいんですかね‼︎死んでも調子良いのは変わらないですね!』 『まぁまぁそう言うなよ。彼だって、申し訳ないと思ってるんだからさぁ。オレらくらいは匡史さんの話を静かに聴いてあげようよ。』 これが、昨日の遺体発見現場の時の会話でした。 わたしは、怒りのあまり泣きました。 匡史さんの不甲斐なさと神様の約束を果たさなかったのに、何をしているのかと、、、。 いつも次元の低い話ばかりして、、、もう人の顔色ばかり見るのは止めればいいのに、いつまでたっても成長しない匡史さんに怒りが湧き上がりました。 『言いたいことがあるなら、わたしに聞こえるように言えよ!匡史さん水くさいでしょ‼︎』 『そう言うなよ。気が小さいんだから大声出すと可哀想じゃん。(笑)』 遺体発見現場でのユウ先生とわたしの涙は、匡史さんの涙だったのでしょう。 『お前、もう少し泣いたら❓こっちが大変だよ(笑)』 『そういうユウ先生が、何田さんが亡くなって悲しいんじゃないですか❓わたしより泣き足りないのはユウ先生でしょ(笑)』 結局、最後は、笑いながら話が終わりました。 能登勇吉先生の出逢いは2010.02.17 あの日を彼の中の新光と対話が始まりました。 彼の中の魂は光が多いのと性格は傷つきやすいです。 闇が嫌いなのです。まさに神様と同じです。 この世の罪穢れを通じて、光と闇の世界を配信していきたいです。 勇吉の奇跡〜見えない世界からの伝言〜 2022.02.23島道鉱泉の坂下で起きた自然災害を通じて、何田匡史(本名・能登匡史)からの伝言を発信していきたいと思います。